いつまでも、二人で。。。

 

 

 

 空気も澄み切った冬の朝。東の空が徐々に白んでくる。雲は見たところ一つもない。今日も快晴のようである。チュンチュンという小鳥のさえずりが耳をくすぐる。

都内のあるアパートのキッチンには、まだこんな朝早くから明かりがついていた。その周りを、せわしなく行き来して食事の支度をする一人の少女がいる。

彼女の名前は若槻千夏。高校を卒業し、上京してきた。彼女は、かねてから芸能活動をしたいという願いを持っており、いろいろなオーディションを受けていたのだが、あるプロダクションのオーディションに見事合格し、念願の芸能界入りを果たした。

しかし、彼女の作っている料理は二人分。どうやら、彼女には同居人がいるらしい。

 

 

その2Kの間取りのアパートの片方は彼女の部屋であるが、もう一つの部屋に、枕に涎をたらしながら眠りこける一人の男がいた。

彼の名は、最悶。都内の某大学院生である。なぜ新人アイドル若槻千夏と、この男が一つ屋根の下に暮らしているかというと、二人は親戚同士の間柄にあり、千夏が上京し、芸能活動をするに当たり、彼女の両親が女の子の一人暮らしを心配し、奇遇にも都内に住む最悶に頼みこんだのである。

さて、その最悶。本当に、気持ち良さそうに寝ている。その寝顔を見ると、いい夢を見ているようだ。

部屋の静寂を破り、目覚まし時計のベルが大きな音を立てて、鳴り始めた。すると、待っていたといわんばかりにドアががらっとあき、おたまと鍋を持った千夏がガンガン音を立てながら入ってきた。

「お〜い、起きろぉ〜!朝だぞ〜!」といいながら、耳障りな大音響を立てる。最悶は、なんとか目覚ましを止めたが、まだうるさいので完全に布団の中にくるまり、もぞもぞしている。

なかなか起きない最悶に千夏は痺れを切らしたか、馬乗りになった。「起きろって言ってるだろ〜!遅刻しちゃうぞ〜!」と身体を揺らしながらしきりに言うが、最悶はそれどころではない。反動をつけていきなり乗られたため、「ぐぇっ、お、重い。。。許してくれ・・・」と、途切れ途切れに言うのがやっとである。千夏は、「も〜う、しょうがないなあ。それじゃあ・・・、これだ〜!」で一気に掛け布団を剥ぎ取った。これは冬場の最終手段であって、これをされるともうどうしようもない。最悶は、団子虫のように身を丸めたが、さすがに部屋の外気が身にしみるのか、しばらくするとようやくむっくりと起き上がった。その姿を確認して、千夏は、「冬は、やっぱりこれだな〜!」と満面の笑みを浮かべた。

 

 

 

 「あ〜、せっかくいい夢見てたのによ〜!」と言いながら、最悶は千夏から手渡された焼きたてのトーストをかじる。「だって、モンチったら起こさないと目覚まし止めてずっと寝てるじゃん〜!」と淹れたてのエスプレッソを飲みながら千夏が言う。

モンチというのは、最悶のあだ名である。3コ下の千夏にこんな呼び方をされては、男の面目がないのだが、もう長年この呼び方をされてきて慣れてきたのもあるし、アニメのキャラみたいでなかなかかわいくて、最悶も内心気に入っているのは、もちろん千夏には内緒である。

「せっかく、なっちが出てきたのにさ〜。久しぶりなんだぜ、娘。の夢見るの。」と、名残惜しそうに口をもぐもぐさせる。彼は、自他共に認めるハロプロフリークなのである。「いいじゃん、夢なんてまた見れるでしょ。すぐそばにこんなかわいいコがいながらさぁ〜。。。」と口をとがらす。最悶は、「バカいうな。なっちは久々なんだぞ〜。なんでか知らんけど、包帯してピアノ弾いてたな〜。。。」と、顔をにやけさせながら未だに回想に浸ろうとする。千夏は「ふ〜ん、やっぱりなっちは特別なんだね〜。」と言いながら、最悶にもコーヒーを入れてくれた。

朝日が差し込む食卓には、ベーコンエッグ、バタートースト、フライドポテト、シーザーサラダと彩り豊かだ。それに、コーヒーのなんともいえない匂いが鼻腔をくすぐる。千夏は、料理は結構得意らしく、自分からいろいろ作ってくれていて、ほとんど毎朝お世話になっている。メニューにもバランスが取れているし、味付けも本格的で、栄養が偏りがちな一人暮らしには、とてもありがたい。この生活がはじまってから、最悶は家事の負担がかなり減った。炊事は、主に千夏。洗濯も、やはり女の子なのだろう、千夏がやってくれることがほとんどである。実質、掃除や風呂を入れるぐらいである。大学院に入って、また本業の勉学が忙しくなってきた最悶は感謝しっぱなしである。千夏も、一緒に暮らしている同居人として、自分のできることは自発的にやってくれているようで、多少は住まわせてもらっていることへの恩返しの気持ちがあるのかもしれない。

そんなことを考えていると、千夏が「今日は、ちぃは昼ぐらいからロケがあって、ちょっと長引きそうだから夕飯は食べておいていいよ〜。」と知らせてくれた。「わかった、頑張って来いよ。」と、最悶は、熱いコーヒーをすすりながらうなずいた。千夏は元気に「うん、まかせて!モンチも遅れないようにね〜。」といって席を立つと、自分の部屋に引っ込んでしまった。

時計を見ると、行く時間が近づいてきたので、最悶は準備をして、玄関に出る。部屋にいる千夏に、「お〜い、ちぃ!行ってくるぞ〜。」と呼びかけると、ニョキッと顔と手だけを出して、「は〜い、行ってらっしゃい〜♪」とニパッと笑って、手を振りながら返事をしてくれた。最悶が、納得して外に出ると途端に冷たい空気が顔面を刺す。思い切り吸い込むととても気持ちいい。内から外への離脱。そうして、最悶は少し客観的になって考える。昔はよく呼んでいたものだが、二人暮しをしていると「ちぃ」なんて呼ぶことは滅多にないので、久しぶりに呼ぶのは内心少し気恥ずかしかったのだが、本人は別に気にも留めてなかったようである。まあ、自分で自分のことちぃって呼ぶぐらいだからなあ。でも、話しかけて反応があるというのは、やはりうれしいものである、と。

このアパートの周辺は、大学の側なので都内にしては緑が多く、空気も心なしかおいしく感じる。雲ひとつない空に、太陽が燦燦と朝日をたたえている。犬を連れて散歩する人の姿。緑もいつも以上に目に優しく感じる。毎日千夏がちゃんと起こしてくれるから、こういう風に余裕を持って通学することができるんだな、俺一人だったらなかなかこうはいかないな、と最悶はしみじみ感じて、「やっぱり、ちぃには感謝だな・・」とぽつりと呟きながら、大学への道を歩いていった。(第一部・完)

 

 

 

 そんなある日、最悶に願ってもない話が舞い込む。彼の師事する大学院の辻教授からであった。要旨は、辻教授がこの度の学会で発表することになっている論文の中の実験の一つを、最悶に直々に任そうというのである。通常は、助手か助教授がやりそうなものだが、院生の最悶に白羽の矢が立ったのにはわけがある。それは、最悶がかねてから研究対象としているテーマと、それが密接な関連にあるからである。

当然ながら、この大抜擢に最悶も奮起した。早速、理論を実証する実験データを上げるため、日夜研究室にこもりきりでこの実験に打ち込んだ。しかし、やはり夜はキリのいいところで打ち切り、できるかぎり家に帰ることにした。それは、千夏を一人きりにするのが何となく気がかりだったからに他ならない。多分、最悶の心には千夏の両親に頼み込まれた時以上の使命感が、この時芽生えていたことに彼は気づいているのだろうか。

しかし、さすがに本物の学会で発表されるであろうこの実験は、学生の実験という域値をはるかに超えていたようである。提起される仮説と実際のデータが合わない、ということが往々にして起こる。そのため、仮説が間違っているのか、それとも実験が正しく行われなかったのか、つまりどこに誤りがあるのかを探して、それをフィードバックして積み上げてゆく、という気の遠くなるような作業の連続を強いられる。普段はさして勉強しなくても、優等生の地位を保っている最悶も、今回は悪戦苦闘しているようだ。そのため、家に帰っているといっても、主にわずかばかりの睡眠と食事・入浴ぐらいであり、少し暇が出来たとしても、実験が出来ない自室では実験データの取りまとめに追われるという殺人的スケジュールである。

こんな有様で家事などできるわけがなく、最悶は仕方なく千夏に頼み込んで、家事を全てお願いしていた。千夏も、そんな最悶の頑張る姿を見て、自分も仕事が徐々に増え、忙しくなってきた中でも、部屋に食事を運んでくれたり、お風呂を入れてくれたりと出来うる範囲で協力をしてくれていた。

 

 

 

そんなある日、最悶は部屋で頭を抱えていた、山場である。どうしても仮説と実験データが合わない。しかも、その相違の原因も、皆目見当がつかない。八方塞がりのこの状況でも、刻一刻と時は流れ、期限が近づいてくる。正直、ストレスが溜まり、いらいらしている。なぜならこの難敵の出現のため、集中力の必須条件である睡眠がこの二、三日ほとんど取れてないのである。思考はまとまらず、気が散る。「あぁ〜、どうして合わねぇんだ!」という、諦めとも取れる一言を呟いて、最悶はペンとマウスを放り出す。

と、コンコンとノックが聞こえた。最悶が「どうぞ。」と答え、振り返ると4、5センチほどドアが開かれ、次に器用に足が差し入れられ、ドアがと二度にわたって器用に開けられた。千夏であることは間違いないが、どうやら両手に大きなお盆を持っていて塞がっているため、足で開けたようである。「お行儀の悪い奴だな〜。。。」と言葉をかけると、「せっかく、お茶入れてきてあげたんだから、そんなこと言わないでよ〜。」とちょっとふくれながら、炬燵の上にお盆を置く。「おお、日本茶か、ありがとう。」と、のどが渇いていた最悶は素直に喜びながら、早速湯飲みを千夏から手に取る。湯気が立ち上り、新茶のいい匂いがする。手の温もりを心地よく感じながら、ズズッと熱いお茶をすすると、やはり心が落ち着く。千夏は、炬燵に入り、一緒に持ってきた自分の湯飲みでお茶を飲んでいる。最悶の部屋は、板間にカーペットが引いてあって、PCが載った大き目の勉強机、ちゃぶ台と兼用の炬燵、本棚、クローゼット、あとは布団という具合である。部屋がそこそこ広いこともあってスペースが結構ある。最悶は、きちんと整理整頓された部屋が好きなので、掃除はこまめにすることにしている。そのため、彼の部屋は普段から綺麗で整然としている。今でも、散らかっているのはデータ数値を書きなぐって、計算の後が見えるプリント類が束になって重なっている勉強机の上だけである。

千夏はいつものように部屋を見回し、「いつ来てもモンチの部屋は綺麗だねぇ〜。」などといいながら、無邪気に茶菓子入れの中にある柏餅の柏をぺろんとはがしている。最悶は、すぐ千夏が帰ると思っていたためちょっと意外で、「何か用か?」と千夏に尋ねた。柏餅をもぐもぐいわせながら「別にぃ。。。」と答えるが、その顔は何かを考えているようである。最悶は、邪魔しないならいいか、と思い直し再び研究に取り掛かろうとする。そこに、千夏の「勉強・・、はかどってる?」との質問。最悶は、PCの画面を見つめたまま、「まぁまぁな。ここを越えれば、一段落だ。」と言う。千夏に心配を掛けたくないため、ほとんど無意識に行き詰ってることは隠してしまう。

「ふ〜ん、そうなんだぁ。」と言って立ち上がり、最悶の側にやってきた。PCの画面なんか眺めてもわからないだろうに、などと思っていると、突然、首筋にひやっと冷たい感触がした。「わっ!」と最悶が驚くと、キャハハという笑い声がした。何かと思って、触ってみると千夏は、自分が食べたばかりの柏餅の皮を最悶の首筋に貼り付けたのである。取りながら「何してんだ?!」と多少語調を強めて言うと、千夏はまだ笑いながら「ねぇ、遊ぼぉ♪」と小悪魔みたいな笑顔をたたえて言った。最悶は、遊ぶって・・・子供みたいだな、と思いながらも、「これが終わったらね〜。」と軽く受け流す。

すると、「いいじゃぁん、ちょっとぐらい・・・あ、これなにぃ?」といいながら、千夏は机の隅に置いてあった手帳を手に取って、見ようとする。最悶は、びくっとしてすばやく千夏の手からそれを取り上げた。「あ〜、怪しい。。。何かヘンな事書いてるんでしょ?」と千夏は見れなくて残念そうに言った。最悶が「バ〜カ、そんなわけないだろ。それに人の手帳なんか見るのはプライバシーの侵害だからな。」ともっともらしいことを言っても、実際その手帳には、最悶の最悶たるゆえん、即ち自分のホームページへアップする妄想小説や、ポエム、それになっちやハロプロへの想いなど人には絶対に見せられない恥ずかしい文章が山ほど書かれているのである。この男は、助かった〜、と内心胸を撫で下ろしているに違いない。

助かったと思うのもつかの間、次は千夏は本棚を物色し始めた。大学の教科書や参考書、辞書などが多い中、漫画や雑誌もちらほらある。「ふ〜ん、いろんな本があるねぇ。。。あれ・・、これはCD?」とラベルのついていないCD-Rを見つけ出す。全くこの娘は、見られたくないものを見つけ出す能力が備わっているのだろうか、そんなことを考えながら最悶は「ああ、それは友達から資料用に焼いてもらったRだよ。」と、平静を装って答える。千夏は「そうなんだ。じゃあ、見てみようよ!」と即座にPCのトレイを開けようとする。たちまち最悶は慌てて、「いや、今は研究のデータ整理しているからだめだ!それに、そのCDは明日要るから!」といってこれもすばやく取り返した。この付け焼刃の落ち着きは、PCは今自分が使ってるし、千夏はCD-Rのことなんかわからないだろう、と決めてかかったのが原因であって、その期待はあっさり裏切られたわけだ。そのCDは、友達からの贈り物であることは確かなのだが、資料用とは名ばかり、磯山さやかのアイドルビデオや、加○由衣や白○ひよりなどのえも言われぬ動画がぎっしり詰まっているのである。千夏は、CDにはすでに執着を見せておらず、もう次の物色を始めたようで目をキョロキョロさせている。

こうなっては、もう勉強どころではない。最悶は、たまりかねて「あ〜、わかったよ!遊べばいいんだろ!」と言い、モニターと卓上ライトの電源を切った。千夏は、目を輝かせて「そう来なくっちゃ!」とニカッと笑い、自分の部屋に道具を取りに戻っていった。最悶は、その後ろ姿を見ながら、イタズラをしてでも遊びたがる千夏の仕草をじゃれてくる猫のようだな、と疲れた頭で取りとめもなく思っていた。

それから、たっぷり3時間ほど。最悶は千夏の遊びに、付き合わされた。何をやったかというと、トランプのババ抜き、七並べ、にはじまり、UNO、オセロ、花札、百人一首の坊主めくり、果ては人生ゲームまで、出てくるわ、出てくるわ。これらのゲームは決して二人では楽しいわけではないが、ゲームに勝つと屈託なく笑ったり、負けると本当に悔しがる、千夏の様子を、最悶は、彼女がようやく満足して帰るまでぼんやりと眺めていた。そして、思うのは千夏は本当に自分の気持ちに正直なんだな、ということだった。そして、俺も頑張らなきゃな、と少し元気をもらったのであった。確かに、簡単で単純明快なゲームで笑ったり、悔しがったりすることが、疲れた頭を休ませ、ストレス解消になったのも後から考えると事実だったのだ。

結局、その日はろくに睡眠が取れていなかったのもあり、最悶はゲームの後、すぐに寝てしまった。もちろん、研究の行き詰まりもそのまま放置されている。次の日、重い気分でまた研究室に向かう準備をしていると、例のCD-Rがそのまま机に置かれていた。最悶が、仕方がないな〜、と思いながらそれをもとあった位置に戻そうすると、そばにある分厚い専門書が目に留まった。次の瞬間、「お、これは・・・」と思わず声を上げてしまった。学部生の時に言われるがままに購入したものだが、難しすぎてそれ以降本棚で埃を被る存在となっていたが、なかなかどうして今回のテーマに関係なくはないのである。もしかしたら、役に立つかも、という期待を胸に最悶は、それをかばんにしまいこんだ。

その参考書は、大当たりだった。その中のある理論が、ばっちり研究のテーマに適用できたのである。それで、なんとか山場を脱した最悶は、あの夜のゲームでのストレス解消も奏功し、加速度的に研究を仕上げていった。そして、ついに期限前に論文をまとめあげ、無事に辻教授へ提出することができた。結果を言えば、最悶のこの苦心の論文は、本番の学会でも評価され、研究室の中での最悶の株も上がるのであるが、この時の最悶は、とりあえず責務を果たすことができた安堵感、それに今までにないぐらいの大仕事をやり遂げた充実感と満足感で一杯だった。もっとも、それ以上にうれしかったのは、しばらく暇が出来て自分の時間が持てることと、千夏の相手をしてやれることだったのだけれども。

 

 

 

そんな最悶が何を思うかというと、ひとえにこの研究に没頭している間、食事やその他の家事などで支えてくれた千夏への感謝である。その気持ちを表現する手段は何か。彼が、考え付いたのはプレゼントであった。次の日、ブランド品店や時計店などが立ち並ぶ、高級そうな商店街を最悶は歩いていた。懐には、食費・遊興費を削って貯めた虎の子5万。5万で、院生ごときがこんなところにくるのは場違いか、と悲観的な思いが心をよぎる。華やかなジュエリー店の一つに入ってみた。店員が即座に寄ってきて、いろいろ尋ねたり勧めてたりしてくるが、並べられた商品の価格帯がべらぼうに高い。予算を伝えると、うちでは無理との返事。最悶は礼をいい、外に出た。もう、二、三軒試してみるがやはり厳しい。この予算ではアクセサリは無理かとあきらめて、通りを引き返そうかと思っていると商店街の終わりに、比較的こじんまりとした宝石店があった。今までの店のようにウィンドウショッピングを誘うような豪華な陳列などはしておらず、ドアも自動ドアではない。ここに賭けてみるか、と思いながら引き戸をゆっくりと引く。

店内は思ったよりは広く、いろいろな種類のアクセサリがディスプレイされていた。店主は、年のころ60歳は越えているであろう老紳士。姿勢もよく、言葉遣いや物腰もやわらかで誠実な印象を受ける。他の店のような若い女性よりは話しやすい。この店主に任せようと思い、「あの、18歳の女の子へのプレゼントなんですけど。予算5万円で、いいのありませんか?」と最悶が尋ねてみると、店主は「わかりました。」といって、店内の商品から5万以内のいろいろなアクセサリを持ってきて、見せてくれながら丁寧に説明してくれる。最悶は、この時点でもどのアクセサリにするか決めてはいなかった。どんな種類のアクセサリが千夏には似合うのか苦慮していたからだ。ブレスレット。リング。ペンダント。アンクレット。イヤリング。ピアス。少し古風なやつだとブローチなんかもある。

しかし、店主が「やはり、年齢を問わずに人気なのはこれですね。」と言いながら出してきた、アクセサリの中の一つに最悶の瞳は吸い込まれた。即ち、ネックレスである。チェーンは銀のシンプルな作りながらも頑丈そうである。そして、なにより最悶が注目したのは小粒ながらもしっかりと存在感があり、永遠の輝きといわれるきらめきを宿し続けるダイヤモンド。一目で気に入った。値段もぎりぎりだがなんとか予算内。最悶は、迷わず購入した。商店街を最後まで歩いたという偶然と、雰囲気の良い店とマスター、そして今や綺麗にラッピングされたダイヤモンドのネックレスに運命的なものを感じながら。

その夜、最悶は帰りの遅い千夏のために夕飯を作ってやり、仮のプレゼントである苺のショートケーキも買ってきてやった。そして、帰ってきた千夏と一緒にご飯を食べながら、ついに研究を無事に終えて缶詰め状態から開放されたこと、その期間の千夏の協力に感謝していることなどを話したりして、久しぶりのゆったりとした団欒の時間を持つことが出来た。食後、「ふ〜ん、ほんとに大変だったんだねぇ。モンチ、よく頑張ったね♪」と千夏は、案の定好物のケーキにテンションを上げ、プレゼントということもあって笑顔もほころぶ。最悶は、そろそろ真打の登場かな、と内心思いながら、千夏が一体どんな反応を示すのか楽しみではある。「実はね、もう一個プレゼントがあるのよ♪」と最悶が意を決して言うと、最後にお目当ての苺を食べようとしていた千夏は「ほぇ?」と、こちらをつぶらな瞳で見上げた。「ふふん、はい!」と言って、隠しておいた例のブツを渡してやる。細長い形をしたプレゼントを受け取った千夏は、「これ、何?」とまだ半信半疑のようである。最悶は、そんな様子がおかしくて、笑いながら「開けて、見てみなよ。」と促す。たどたどしい手つきでラッピングを開けていく。そして、ついに濃紺色のフェルトに包まれたケースが出てきた。千夏がついに、パカッと開く。最悶も息を呑む。千夏は気に入ってくれるだろうか。

一瞬の静寂。千夏は、中を見た瞬間に表情が変わり、不安そうに、こちらを見るので「つけてごらん。」と優しく言ってやる。「もらって・・いいの?」と尋ねるので、「もちろん♪」と答えてやった。後ろを向いて、ゆっくりとネックレスを付ける千夏の動きが、トクトクと自らの動悸を感じる最悶には妙にもどかしい。彼女の今日のいでたちは、下はジーンズ。上は赤のカットソーに黒のジャケットというものだったが、今はジャケットを脱いでいるので、赤のカットソー一枚である。つけ終わったのか、ゆっくりこっちを向く。ぴったりだ。赤地に銀のチェーン、そしてダイヤモンドが光を反射してよく映え、上品なきらめきを放っている。「うん、よく似合ってる♪」という最悶の言葉に、はじめて笑顔がこぼれる。頬も心なしか、少し染まっているように見える。最悶が贈ってよかったな、と感慨に浸る間にも、「えぇ〜!?どうしてどうして!?高かったでしょう!?」と矢継ぎ早に質問が来る。ようやく、いつもの千夏が戻ってきたな、と思いながら、「ゲームした日があったろう、それだけでもなくて、まあいろいろお世話になったってことさ。」と適当に言ってみたりする。正直、この満面の笑顔が見れればどうでもいいのである。ふと、最悶は悟った。どうして、あのネックレスにあれほど魅せられたか、それは千夏の目の輝きがあのダイヤモンドと一緒だったからなんだな、と。「わかんなぁ〜い、あれは邪魔したんじゃないの?」と普通の反応が来るが、最悶は、ちぃ、本当にありがとう!という本音は性格上、気恥ずかしくて言えるわけがない。最悶は、大喜びする千夏の様子をしばらく見届けてから、「まあ、明日からまた気合入れて頑張れよ〜!」と言い残して部屋に引っ込んだ。

最悶が言わなくても、千夏自身の頑張りによってこの頃から彼女の芸能活動は順調に軌道に乗り始め、仕事も徐々に増えてきていたのである。アイドル・タレントとして、ますます輝きを増す若槻千夏。彼女の胸元には、最悶からの贈り物であるダイヤモンドのネックレスがその輝きを証明するように光り続けている。(第二部・完)

 

 

 

 

 

柔らかな朝日が、カーテンの隙間から差し込む。今朝も西高東低の気圧配置を受けて、関東地方は快晴のようである。最悶は、久しぶりに一人で目を覚ました。目覚まし時計をみると、いつも千夏にたたき起こされる時間より1時間も早い。なぜか、頭もしゃっきりしていてもう眠る気もしない。台所に出てみると、千夏もこんな早朝からすでに起きていて、風呂を入れたりしているようである。

今日は、仕事が忙しい千夏にとっては久々の丸々一日のオフであるのだが、最悶は、休みの日にも元気だな〜、と思った。そうこうする間にも、千夏は最悶に気づき、「あ、おはよう!今日は早いね〜。」と話しかけたりしながらも、自分の部屋と台所、そして洗面所を行ったりきたりしている。最悶は、「おい、今日は何かあるのか?」と尋ねた。千夏は、「うん、女友達と遠くに遊びに行くの。せっかくのオフだしね。」と答えた。最悶は、「ふ〜ん・・・」と気のない受け答えをしながら、せっかく早く起きたことだし、「そんなに忙しそうなら飯でもつくってやるよ。」と言って、支度に取り掛かる。「ほんと?忙しいから助かるよ〜。今日は和食がいいな〜。」と言う千夏。言われたとおりに、味噌汁のダシをとりながら、ししゃもを焼く。風呂から上がった千夏は、自分の部屋にこもってしばらく出てこなくなった。

食事が出来上がり、千夏を呼ぶ。「は〜い。」と応えがあり、しばらくして出てきた千夏は、ほぼ身支度を終えていた。服はお気に入りらしいピンクの大きめなニットを着ている。乾かされた髪には、ちゃんと櫛が入っていてさらさらだ。化粧も、薄く塗られたファンデーションとチーク、目尻に引かれたほのかなアイラインとナチュラルな感じで出来上がっている。多分、あとは食後に付けるリップとグロスだけだろう。「ウン、なかなかイケる♪」などと言いながら、淡々と朝ごはんを平らげていく千夏を見ながら、最悶は「気合はいってるなぁ〜。」と考えた。食後、しばらくして「今日は、多分遅くなるから、夕飯はいらないからね。」と言って、意気揚々と出かけていった千夏を見送りながら最悶は、「・・・デート、か。」と呟いていた。彼が、そう見抜いたのは彼女の胸元にほとんど毎日のように光っていた例のネックレスが、今朝は見当たらなかったからだ。

 

その日、学校を終えた最悶は、夕飯の買出しに行って帰ってきた。朝、晩と連続で自炊をするのは久しぶりだな、などと考えながら。冬の日暮れは早い。まだ、五時過ぎだというのに辺りは黄昏である。家にたどり着き、鍵を開けようとしてノブをひねると開いた。おかしいな、と思いながら中に入る。部屋の中は、外よりも薄暗いというのに千夏がぽつんとたたずんで、食事の支度をしていた。

少し驚いた最悶は、「どうした?明かりもつけずに。早かったんだな。」と荷物を置きながら尋ねる。千夏は、手を動かしながら、「うん・・・友達の集まり具合が悪くてさ、あんま盛り上がらなかったんだ。」と答える。「そうなんだ。それは残念だったな。」と相槌を打ちながら、最悶はしばらく千夏の様子を眺めた。今日は、料理の手際の良さが見えない。いつもなら、話をしながらでも、何品ものおかずを着々と仕上げてしまうというのに。会話も、弾まない。「俺なら予定ばっちり合わせられるぜ。その友達紹介してくれない?」と最悶の方からチャチャを入れると、千夏は「駄目、モンチったら何するかわかんないもん。」とだけ答え、少し笑った。やはり、元気がない。その笑顔も、カラ元気のように感じてしまう。見かねて、最悶は、「俺が代わりに作るわ。疲れてるんだろ?」という。千夏は、その提案に対し、「でも・・・」と言いながらもやめようとはしない。「いいから、お前明日からまた仕事だし、今日はもうゆっくり休みなよ。」と、無理に言って彼女を部屋に返し、最悶は一つ大きく息を吐いて、料理を引き継いだ。

自分が買ってきた食材も使って、おかずを数品仕上げた最悶は、千夏の部屋に運んでやった。千夏は、というとベッドに座って何か考えているようである。「ここに置いとくから、あったかいうちに食べるんだぞ。」といいながら、机の上に置く。「うん・・・、ありがと。」とだけ答える千夏に、ますます心配を覚えながら、最悶は彼女の部屋を後にした。また、普段より早めに風呂を入れ、千夏に早く風呂に入って、今夜はゆっくり寝るように勧めた。

最悶は、千夏の後に風呂に入り、院の簡単なレポートなどをまとめ終えた後、部屋で一人物思いに耽っていた。千夏のあんな様子は見たことがない。よっぽどのことがあったのだろう。原因があって、結果がある。当然、彼には、その見当がついているのだけれども。失恋したんだな・・・、彼は自分の豊かとはいえない恋愛体験をとりとめもなく回想しながら、しみじみとそう思うのだった。

静かにして、千夏の部屋へ聞き耳を立ててみるが、何も聞こえてはこない。明日も早いしそろそろ寝るか、と考え、布団を敷いた。と、その時、小さくドアの開く音がして、次にはコンコンとノックがあった。最悶が、「どうぞ。」と答えると、ゆっくりとドアが開かれ、千夏が顔を出す。最悶は、彼女のパジャマ姿に同時に気恥ずかしさを覚えていた。

「ごめんね、こんな遅い時間に。ちょっと入ってもいいかな?」と千夏。最悶は、「いいけど、どうかした?」と尋ねながら勉強机の椅子に腰を落ち着けた。千夏は、おずおずと掛け布団の上に座り込み、「ちょっと、話したいことがあってさ。。。」と切り出す。「うん・・、それで・・・?」と最悶は、とりあえず千夏の話を聞く側に回ることにした。千夏は、一言一言たどたどしく、しかしちゃんと自分の気持ちをつむぎだすように話し始めた。

 

 

――――やはり、失恋話。どうやら、千夏は密かに思いを寄せていた男性とデートまでこぎつけたのだが、最後に思い切って交際を申し込んだところ、あえなく断られてしまったということのようである。最悶は、このような深刻な話を告白されるという場面になど、ほとんど出くわしたことがないが、努めて冷静に話を聞いていた。「それでね、・・・」と千夏は訥々と話していくが、徐々に言葉につまり出した。やはり、思い出すと悲しいのだろうか。と、うつむいていた千夏の顔から涙が一粒落ちた。そして、顔を上げ、涙声で「ねえ・・、あたしって・・・、魅力ないかな・・・?」とはじめて最悶に尋ねかける。

ここにいたり、少し動揺した最悶は返答に悩んだ。ここは、理路整然とした論理より、まず千夏のことを考えて答えてやるのがいいだろう。「そんなことないさ。お前にはお前の魅力があるはずだろ?」と尋ね返す。神妙に聞いている千夏に、「じゃないと、タレントなんてやっていけないさ。自分で自分のこと疑ったりしたら、応援してくれてる人に対して申し訳ないだろ?」とさらに言うと、千夏は下を向き、うなだれる。「お前は、自分の魅力を信じればいいよ。人に言われて変わろうなんて思ったり、もちろんそれで自分を責めたりしちゃいけないよ。だって、それは千夏だけが持ってるものなんだから。」と気恥ずかしい言葉をかけてやる。「そりゃあ、全ての人がお前に魅力を感じるとは限らないけど、お前の周りを見ればそれはうそじゃないってわかるし、俺ももちろん、ずっと応援してるよ。」と、何とか最後まで言い切る。彼の真摯な励ましを聞き、顔を上げた千夏の目に、わっと涙があふれた。「だから、そんなに泣くなって。」と言うと、「うん。。。」と言いながらもパジャマの裾でまぶたを押さえている。泣き止む気配がない千夏に、最悶は「今日も寒いな。。。そうだ、紅茶入れてやるよ。身体冷えてるだろ。」と言い、台所へ出る。ポットを再沸騰させ、自分はストレート、千夏にはミルクをたっぷり入れてやる。ミルクティーは千夏の大好物である。最悶は、千夏を慰めるつもりが自分の本音を出しすぎたな・・・、と思い出し、顔を赤くした。

マグカップを二つお盆に載せ、部屋に戻ると、千夏の様子は多少ましになったものの、まだしゃくりあげている。千夏の側に座り、紅茶を差し出してやる。千夏は、「ありがとう・・・」といって受け取る。その時、最悶は千夏の手にあるものが握られているのに気がついた。先程は、少し離れて斜め上から見下ろしている状態だったので見落としていたのだが、それは彼が彼女に贈ったダイアモンドのネックレスだったのである。千夏は気づかずに、息を吹きかけながらいれたての熱いミルクティーを飲み始めた。

時折自分のカップを傾けながら、最悶の頭の中では様々な思いが交錯した。千夏が、何を考えてここに来たか、そして今は・・・・。そして、自分自身は、どうか・・?目の前の千夏を眺めながら、それを推し量っているようである。

と、飲み終えたカップをお盆に置く千夏。彼女は、最悶の方に向き直った。「ありがとう。。。少し、すっきりしたよ・・」「そうか。」短い言葉のやり取り。千夏は最悶の顔を見つめる。もう、泣き止んでいる。こんなに近くで、彼女の顔を見たのはいつ以来だろう。風呂上りのリンスのさわやかな匂いがほのかに香る。次の瞬間、千夏の手のひらが最悶の手に重ねられた。血の通う証拠である掌の温もりとやわらかさに触れ、最悶は、身体が熱くなるのを感じた。心臓がとくとくと脈を打ち始めるのがわかる。千夏の目を見る。潤んでいる。涙のせいか、それとも・・・・。千夏は、一言「いいよ・・・」といって目をつむる。

一瞬の葛藤。胸が高鳴る。最悶は、この時を永遠のように感じながらも、迷いなく彼女の頬に軽くキスをした。ミルクティーのためだろうか、ほんのりと上気した頬の温かさを感じながら。ゆっくりとまぶたをひらき、「なんで・・・?」とかすれた声で尋ねる千夏に、「キスは涙でするもんじゃないだろ?絶対お前には後悔してもらいたくないんだ。わかるな?」と諭すようにいって、目尻にまだ残る涙をぬぐってやる。千夏は、視線を落とし、しばらく考えている。そして、かすかに、しかしぎゅっと片手を握りしめ、「うん・・・、そうだね。」といって、最悶の真意を汲み取るように彼の目を見つめた。

再び、しばしの沈黙。千夏はそれを破って、「ちぃ、もう寝るね。。。ほんと、今日はありがと。」と微笑んで立ち上がり、「じゃあ、おやすみなさい。」と言ってドアを開けると、おとなしく自分の部屋に戻っていった。

 

最悶は、部屋の明かりを消し、布団にもぐりこんだ。まだ、動悸のスピードは、おさまりそうにない。いろいろな思いが、頭を駆け巡る。だが、一つだけ確かなことがある。それは、彼の中には一片の後悔もない、ということだ。

 

長い夜が、明けた。部屋が冬の朝日を受けて、徐々に明るくなっていく。最悶は、昨夜あれこれと煩悶してなかなか寝付けなかったようである。案の定、現在は爆睡しており、気持ち良さそうに寝息を立てている。そろそろ、いつも彼が起きる時間が来るのだが、今朝は目覚まし時計のセットを忘れているようである。その時、ドアが開き、普段と変わらずおたまと鍋をもったエプロン姿の千夏が、騒々しい音を立てながら入ってきた。「起きろぉ〜!遅刻するぞぉ〜!」と大声で言うが、例のようにすぐ起きる最悶ではない。睡眠の足りてない今朝のような日はなおさらだ。と、今回は早い。仰向けの最悶に対し、すぐマウントポジションを取る。

 

次の瞬間。まだ半分寝ぼけている最悶の顔に千夏の顔が急に近づき、一瞬触れ、すぐに離れた。――――

妙になまなましい感触に、最悶は一気に目を覚ました。千夏が、すばやく立ち上がると同時に、がばっと起き上がり、ぽかんとする最悶。しかし、夢心地だった彼には、今しがた起きたことを思い出すことはできない。千夏は赤い顔をそんな最悶に見せないように、「ほら!目、覚めたでしょ!起きた、起きた!」と言い放ち、再びキッチンに消えた。

 

最悶は、まだ狐につままれたような気分で、ふわふわしながら食卓に並べられた朝食に手を付ける。千夏は、にやにやしながら、「ほら、早くしないと遅れるよ!」と急かす。「お前は?」と最悶が尋ねると、「今日はね〜、4時入りだからまだゆっくりできるよ。」と得意げに答える。時間の迫る最悶は「いいなぁ〜・・・」とため息をつくが、千夏の顔をぼんやりと見ていると、すぐ顔が赤くなり、視線をそらしてしまう。最悶は、少しうれしくなった。もちろん、千夏の目の下にかすかにくまができていたのを目ざとく発見したから、だけではないのだが。

食事を終え、部屋に戻った最悶は、しばし昨夜から今朝にかけての出来事をよく考えてみた。ふふ、と自然に笑いがこぼれた。彼にはちょっと現実離れしているようだ。しかし、決して夢ではない、ありありとした現実感が彼を包んでいる。そして、最終的にある名案を考えついた最悶は、準備をせずにそのまま千夏の部屋を訪ねた。そして、「決めた!今日は、俺サボるわ。」と、それを披露する。千夏は驚いて、「うそ!?じゃあどうするの?」と尋ねる。最悶は、いつものお返しとばかりに、いたずらっぽく「そりゃあ、傷心の千夏ちゃんと遊ぶんだよ!」と答えた。千夏は、最悶の「傷心の」と言った意図には無頓着に、ニパッっと笑顔をみせ、「マジ!?やった〜!」とはしゃぐ。と同時に、「それじゃあ、こうしてられない!」と、着替えに、メイクにと、たちまちてんてこ舞いである。最悶は、部屋に戻り、念入りに身支度をすませたのち、大学院に休む旨の連絡を入れた。皆勤賞は崩れるが、辻教授には貸しがあることが最悶のたのみである。

 

しばらくたって、「おまたせ〜!」とドアを開け、姿を見せた千夏は、昨日以上に完璧な出来あがりだった。もちろん、胸には最悶からの贈り物のネックレスが優しく光る。「さあ、行くぞぉ〜!」と元気にいう彼女のテンションは高い。玄関を出ると、外のさわやかな空気が心地よい。とうに昇った太陽が、明るさとともに春の近づきを予感させる暖かさを与えてくれる。今日も、雨の心配は全くなさそうである。

二人並んで、駅へと歩きながら、最悶は「で、どこに行きたいんだ?」と聞いてみる。彼女は考えながら、「え〜、渋谷でしょ、原宿でしょ。。。あ、代官山もいいなぁ〜!」と、次々に挙げていく。うきうきした様子が、相手をするこちらにも純粋にうれしい。最悶は、「せっかくだから、普段行けないところに行かないか?」と思っていたことを切り出してみる。千夏は、「普段行けないところ〜?」と考える。ぱっと顔が輝く。思いついたようだ。二人で声を合わせて言う。

「ディズニーランド!!」

妙にぴったりでお互い、ふふ、と笑ってしまう。「いいねぇ!行きたかったんだ〜。」と千夏の反応も上々だ。「スペース・マウンテンでしょ、スプラッシュ・マウンテンでしょ。あとシンデレラ城と・・・」と、無邪気にアトラクションの名前を挙げてゆく千夏を、最悶はほほえましく感じていた。「あ、あと買い物もいっぱいしたいし。ミッキーのぬいぐるみとかね!ねぇ、買って〜♪」雲行きが怪しい。さらに、「傷心の千夏ちゃんを、慰めてくれるんでしょ?」と逆手を取って畳み掛けられた。やはり、聞いていたか。。。こういう抜け目のないところも千夏らしい。最悶は、しまったと思いながらも、妙なところに感心していた。

ATMでなけなしの貯金を下ろし、最悶はため息をついた。これは、以前から趣味の昆虫採集旅行のためにこつこつ貯めていたお金なのである。また、決行が遅れるな〜。。。などと考えながら出てくる最悶を尻目に、千夏は少し先から「ねぇ、モンチ早く〜!」と最悶を呼ぶ。「はい、はい。。。」とつぶやきながら、最悶は空を見る。雲は・・、ない。

 

千夏と暮らすようになって、もうすぐ一年。ほんと有意義だったと思ってるよ。いろんなことがあったけど、悪くなかったよな。それにお前には、かけがえのないものをたくさんもらったよな。笑顔、楽しさ、喜び、元気、驚き、希望、優しさ、ぬくもり、そして、愛。

お前がそばにいてくれて、よかった。今じゃあ、俺の想像以上にお前の存在は大きくなってる。本当に、感謝してるよ。ありがとう、ちぃ。

 

などと考えながら歩く。千夏は、まぶしい笑顔をたたえている。「ん?どうかした?」「いや・・・、なんでもない。じゃあ、行こうか。」「うん!・・・」

やわらかな風が、千夏の長い髪をそよがせる。徐々に、足取りが遠くなっていく。太陽が、二人を見守るように燦燦と輝く。そうして、空は、最悶の心のようにどこまでも澄み切っている。まるで、彼の最後の思いを永遠に残すように。。。

 

 

「千夏、いや、ちぃといつまでも・・・・」――――――   

 

 

 

I wish to be with Chinatsu forever.... /Fin.

 

 

 

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