ちぃがいるだけで・・・

 

 

 夜も更けて、日付が変わろうとする頃、都内の歩道を小走りで駆けてゆく男がいた。
最悶である。
大学院に入って半年ほど。夏休みに入っているのだが、彼は多忙な日々を送っていた。故郷への帰省、北海道への学会、そして帰ってきてすぐの九州出張。ろくに帰ることすらままならず、数日間も家を空けるような毎日。そんな状況が8月の半ばから続いていた。
一方の千夏。最近では、雑誌グラビアの仕事の他にも、TVやラジオなどへの出演、イベント開催など多方面から仕事が入ってくるようになっており、連日の過密スケジュールをこなしていた。
おりしも、東京は連続真夏日の記録を観測史上最高記録で塗り替えるという記録的な猛暑に見舞われていた。去年もまた例年にない冷夏であったからこの夏の暑さは予想以上に体にこたえる。
そんな中、九州から帰ってきて、ようやく一段落ついた最悶は、久しぶりに千夏に会えるのを楽しみにしていた。しかし、そんな最悶にショッキングな知らせが舞い込んだ。千夏が体の不調を訴えて緊急入院した、というのである。
最悶はその知らせを大学で聞いて驚愕したが、理系の彼は実験や研究を抱えているため途中で抜けるわけにもいかず、持ち場で悶々としていた。
こういう時の時間の進み具合は遅い。彼は気が気ではなかった。
開放されるなり家に飛んで帰って、身支度を済ませて飛び出したがこんな時間になってしまったのである。

 ここにきて、だんだんと詳しい情報がわかってきた。彼女の症状は、風邪、熱中症、急性胃腸炎及びそれによる発熱だと診断された、ということである。熱もかなりのもので点滴を打つなどしているらしい。
最悶には思い当たることが二つあった。一つは、一昨日ぐらいまでまだ厳しい暑さの沖縄にてTV番組のロケを行っており、暑さと疲労が蓄積していたと思われること。そして、もう一つはここ最近の彼女の姿を見るに、風邪気味で声が悪かったり、いつもの笑顔の裏にもどこか疲れた様子が見え隠れしていた、ということである。
北海道、九州と離れた場所にいて、彼女の側にいてやれなかった最悶には、そのことがとても口惜しく、また自分が腹立たしく思えてくるのである。
そんな複雑な思いに駆られながら、最悶はようやく千夏がいる病院の前に立った。時間のせいか、しんと静まっており点いている明かりもほとんどない。曇天にうっすらとその輪郭を現しながらそびえるその建物は、さながら彼を待ち受ける要塞のように感じられた。
中に入り、彼女の部屋の前に立った最悶は大きく息を吐いた。明かりは消えていた。もう動悸は治まりつつある。
静かだった。
意を決して、音を立てないようにゆっくりと扉を引いた。
この時最悶は、なぜか妙に落ち着いていた。まるで、彼の心がこれから起こることをしかと経験しようとしているかのように。


 千夏は、眠っているようだった。最悶は、静かに窓際まで歩いてカーテンをゆっくりと開け、外を窺った。周りは閑静な住宅街であるが、街もすでに眠りに就いていた。
最悶は、千夏の傍らに腰を下ろし、しばし時が過ぎるのにまかせていた。カーテンを開けたことでぼんやりとだが、様子がわかるようになった。安らかな寝息を立ててはいたが、呼吸が速いように思われた。
最悶は、布団の外に出ていた彼女の手をゆっくりと取った。熱のせいだろう、ほてって感じられた。
とく、とくと脈拍だけが音を立てているように思えた。自分のものか、それとも彼女のものかどうかはわからなかった。
千夏の顔を見つめながら、一言こういった。

「ちぃ・・・、ごめんな」

またしばらくの間があった。
最悶は立ち上がると、千夏の側を離れた。ドアの前で振り返り、彼女に一瞥を投げかけ、「おやすみ」とだけささやくようにいうと、またゆっくりと病室の外へ出て行った。

かすかな音がして、扉が閉まり、しばらくした後、千夏はゆっくりと目を開いた。そして、彼が開いたカーテンから少しだけ見える空を、見るともなしに眺めていた。ほのかに外の明かりが入ってきた病室の中で、彼女の瞳だけが光っているように見えた。
辺りは相変わらず、静寂に包まれていた。


 最悶は、家に帰ってきた。がらんとしたキッチン。千夏がいない時には慣れている光景だが、今夜ばかりはさびしかった。食卓の上に一枚の小さな紙が置かれているのに気づいた。すき焼き、と大きく書かれ、下にその食材が羅列されていた。買出しのメモのようだ。千夏も、豪勢な料理で久しぶりの彼の帰りを祝ってくれようとしていたのだろう。
最悶は、生活感溢れるそのメモを見て、再び彼女の容態が気にかかってきた。それとともに、自分自身への歯噛みするような思いに打ちひしがれた。しかし、それも空しかった。
彼は、もはや食事や入浴を済ませる元気がなく、そのまま布団に倒れ込んだ。
今は何かに包まれたかった。それが、千夏という存在ではなく、束の間の睡眠であろうとも。


 次の日の朝早く。最悶は、ひとりでに目がさめた。昨日とは打って変わって、まるで明鏡止水の心持ちのように彼の心は穏やかだった。それだけではなく、不思議と、自らの為すべきことを為そうという活力が体の奥底から沸いてくるような気がした。
何が彼を突き動かすのか。それを知る手立てはあるだろうか。彼の頭にある、「今は、千夏のことだけを考えてやろう」という思いのほかに。

最悶は、風呂に入り、軽い食事と身支度を済ませると、千夏の暇つぶしに彼女の好きな漫画を持って家を出た。途中、コンビニに寄って彼女の好物のシュークリームを買うことも忘れなかった。彼は、千夏に第一声で何と声を掛けようか、それを思い悩んでいた。


 病院に着き、昨夜と同じ場所に立った。ノックを二度すると、「どうぞ。」という返事があった。ドアをゆっくりと開けた瞬間、身体を起こしていた千夏と目が合った。
ピンク色のパジャマを着ていた。彼女は、最初驚いたような顔を見せ、次に申し訳ないような表情に変わった。
最悶は、「体は、大丈夫か?」とだけいって近づき、椅子に腰掛けた。散々考えた挙句に、出た言葉がこれだった。やはりどうしても、「心配した」という一言は、口にするのがおこがましかった。

俯き加減の千夏は、「うん・・・、大丈夫。モンチに心配かけちゃって、ごめんね・・・」と、小さくいった。昨夜は気づかなかったが、ベッドの脇に点滴の装置があり、ゴム管を通して千夏の腕と繋がっていた。痛々しく、最悶は見るのがためらわれた。
彼女の顔は、まだ高熱が引かないのだろう、かなり赤かったし、声は風邪のためかやはり普段とは違って聞こえた。語気にも元気は感じられなかった。

最悶が何も言わずにいると、千夏は「でもさ、点滴打ったりしてるからすぐよくなるよ。また仕事がんばんなきゃね」といって、力なく笑った。その笑顔が作り物なのは、誰にでもわかることだ。

「千夏」

そう静かに、だが力のある声で話し掛けた。こんな風に、彼女を呼ぶことは滅多にない。それに気づいているのか、彼女は衝撃に打たれたように体を震わせ、彼の顔に視線を合わせた。
「バカなことをいうな。点滴を打たなきゃいけないぐらい悪いってことだろ?」最悶はそういいながら、千夏の顔を見つめた。
彼女は何も言わなかった。
「今は仕事のことなんか忘れて、自分の体のことだけを考えるんだ。いいな?」そう続けた。彼の言葉に千夏は小さく頷いた。
短い言葉だったが、最悶の真意は千夏の心に染み入るようにとけ込んでいった。なぜなら、彼の目が全てを語っていたから。
本当は、言葉はいらなかった。

最悶は微笑んで、「じゃあ、ごほうびだ」と優しくいい、持参したシュークリームと漫画を取り出して千夏に渡した。それらを見た彼女の顔から、緊張が緩んでゆくのがわかった。
少しの沈黙の後、千夏が言った。
「ありがとね、モンチ」
千夏もわかってくれたようである。今の笑顔は、嘘ではなかった。それが、最悶にはうれしかった。

その後、最悶は千夏本人と主治医から彼女の詳しい病状について説明を受けた。一時、40度ほどもあった発熱は、点滴などの処置によって、下がり始めてはいるという。しかし、未だに熱のある状態は続いているので予断は許さないようである。また風邪により弱まった身体の抵抗力を回復させることと、ダメージを受けた胃腸の様子を見るために、もう3〜4日の入院が必要であろう、とのことらしかった。
気は抜けないが、小康状態にはあるという診断に、とりあえず少し安心した最悶は、家事は心配いらないから、と彼女に告げて、大学院へ出かけていった。


 それから、数日。最悶は、学校と家、そして病院とをせわしく往復する日々が続いた。大学院では集中して勉学に打ち込んだ。病院では看病というよりは、千夏の望むものを買っていってやったり、話し相手になってやるなどして時間を過ごした。
家事を一人でこなすのは、楽ではなかったが、苦には感じなかった。なぜなら、千夏の回復が日を追うごとに目に見えてわかるようになったからだ。熱が下がり、食欲も戻ってきたし、よくしゃべるようになった。何より、彼女らしい笑顔が再び見られるようになったことが、最悶には一番喜ばしかったのである。
担当医からも、「もう、そろそろいいでしょう」という言葉が出た。そうして、待ちに待った退院の日がやってきた。

 最悶は普段は夜までかかる研究を早めに切り上げて、家で千夏を待った。その日の夕方に、彼女は救急車で運ばれて以降、丸五日間を過ごした病院を退院する予定になっていた。食卓に座り、彼女を待つ最悶。待つという時間は、長い。
と、玄関の外を足音がしたかと思うと、ドアが開き千夏が姿を見せた。漫画やら着替えやらが入っているのだろう、荷物をたくさん抱えていた。
「ただいま〜!モンチ帰ってたんだ」いつもの元気な声だ。
「お帰り。久しぶりの我が家はどうだい?」笑いながら彼女の荷物を受け取ってやる。
「う〜ん、帰って来たなあって感じ!結構長かったからね〜」千夏も笑いながら答えた。
「そうだな。やっぱ、家にはちなっちゃんがいないとね〜!」
「おお〜!珍しく優しいじゃん!何かやましいことでもあるんじゃないの?」
「ははは、そんなことないよ。でも岩佐真悠子ちゃんだっけ?入院中の代役してくれた子。あの子、かわいいな〜なんて」うっかり口を滑らせてしまったようである。
「あ〜!やっぱり〜!でも、まゆちゃんにはほんとに感謝してるんだ。忙しいと思うのに」
「そうだな、ちゃんとお礼いっとくんだぞ。でも、とりあえず退院はめでたいな!」
「ふふ、ありがとう〜」その笑顔を見ていると完全に回復したことがわかった。
「じゃあ、今日はお祝いに頼みごとをある程度なら聞いてやろうかなあ。ある程度なら、だよ」
「ほんと?じゃあお腹が減ったから何か作って!」千夏は嬉々として、さっそく注文をつけた。
「じゃあ、快気祝いにご馳走でも作るか!何がいい?」
「おいしいものなら何でもいいよ」
あるものが、頭に浮かんだ。
「じゃあ、すき焼きは?この前作れなかったんでしょ?」
千夏は、一瞬真面目な顔になった。
「うん、すき焼きがいいな」
「じゃあ、そうしよっか」最悶には、彼女の顔が少し赤くなったように思えた。
「でも、すき焼きならちぃ特製のレシピの方が絶対おいしいよ」
「なに?俺の腕が信用できないって?」
「へ〜んだ、あたしより料理のレパートリーが全然少ないくせに」
やはり、口が減らない。最悶はたじろいた。
「う、じゃあ教えてくれよ。そのちぃ特製すき焼きの作り方とやらを」
「やっぱりちぃがいないと、モンチ全然駄目なんだから。じゃあ一緒に、買出しにいこっか!」

「やっぱ、すき焼きはねえ・・・・」得意そうに話す千夏に「うん、うん」と耳を傾けながら二人で肩を並べてスーパーへと歩いた。
やはり二人はいいものである。この時間がしばらく続けばいいと思った。
ちょうど太陽が地平線に沈もうとする頃だった。今日の夕焼けは特別赤い。その夕陽と長く伸びるふたつの影が一本道の歩道にコントラストを呈していた。




 次の日の晩。最悶は、千夏が生出演している番組にちょうど出くわした。そういえば、昨夜彼女が復帰してすぐ、TV出演があると言っていたのを思い出した。TVでよく見かける芸能人のゲスト陣に交じって、出演している千夏。時々、笑いを交えながらテンポよくトークが進んでゆく。千夏は持ち前の明るさと華やかさで、バラエティ番組を中心にTV局からよくオファーが来るようになっているらしいが、この番組でも、VTRでは彼女の発言が大きくテロップになって流れたり、千夏の姿がたびたびアップになり、彼女の発言でどっと笑いが起こったりしていた。確かに、存在感があったし、目立っていた。彼女の雰囲気は、間違いなく芸能人のそれであったし、どこか場慣れしている感じも、こういうことに疎い最悶にもはっきりとわかった。ここ最近では、新聞のTV欄や、雑誌でも彼女の写真や名前を目にする機会も多くなり、彼女の忙しさが目に見えてわかるようになっていたし、何より最悶と千夏が顔を合わせることも以前よりは確実に減っていたのだから。
最悶は、千夏がどこか遠いところへいってしまったように感じた。彼には想像もできない過酷な世界で日夜がんばっているのだろう。彼女が入院している時はよく顔を合わせていただけに、元のスケジュールに戻られると余計にそう感じられた。疑心暗鬼とは、よくいったものである。一度考えるとどんどん悪いほうへ悪いほうへと考えを巡らせてしまう。不安という感情が最悶を包んでいた。最悶は頭を二度横に振り、しばらくTVから視線をそらすと、リモコンで電源を切り、浴室へと向かった。浴槽の栓を抜けば、抜けてゆく水のように、今のこの気持ちをどこかへ消してしまいたかった。だが、それは心の奥底に澱のようにたまり、忘れることはできても、消去することはできそうになかった。


 次の日、研究が比較的早くけりがついた最悶は、自宅への道を歩いていた。九月も中旬に入り、秋分も間近に控えている。改めて、日が短くなったと思わされると同時に、まだ半袖の素肌に触れる外気にはっきりと金気を感じた。
と、自宅の窓から光が漏れていた。どうやら、千夏が帰ってきているらしい。今夜はゆっくりできそうだな、そう考える最悶の心持ちを反映するように、足取りは自然と速くなっていく。
ドアを勢いよく開けると、「あっ、もう帰ってきちゃった!」と元気な声がした。エプロン姿の千夏がキッチンに立っていた。
「ただいま。早いんだな」という最悶に、千夏は、「あっ、そうだ!」というが早いか、食卓に置いてあったクラッカーを彼に向けて鳴らした。

「モンチ、誕生日おめでとう〜!!」

パァン、という大きな音と共に、千夏はそういってにっこり笑った。紙テープを頭からかぶった最悶は、一瞬何が起こったかわからずに、きょとんとしていた。千夏が反応が鈍い最悶に、「あれ?」と首を傾げた頃にようやく、「ああ、そうか。今日、俺の誕生日か」と合点がいった顔を見せた。同時に思うことがあった。彼は少し下を向いて顔を赤くした。
「まさか、忘れてたの?」
「ああ、すっかり。そういや、今日9月10日だったな」最悶は、そういって小さく笑った。
「もう。せっかく驚かそうと思ったのに、あっけなくてがっかりしちゃった」
まだ彼は普段とは違う様子だった。千夏は敏感にそれを感じ取って「モンチ、どうかした?」と尋ねた。
「いや、何でもない」
少しの沈黙があった。彼が再び顔を上げた時には、いつもの顔に戻っていた。
「覚えててくれて、ありがとな」
素直な言葉だった。まるで彼の心を鏡で写し取ったように。
千夏は「うん」と頷いていった後、ふふ、と微笑んで「だって、モンチの誕生日だもん。お祝いしなきゃね!」と続けた。
「だから、こんなに料理も豪勢なのね」そういって、様々なおかずで埋め尽くされた食卓をまじまじと眺めた。
間髪いれずに「つまんじゃ駄目よ!これからモンチの部屋に運んでちゃんと準備するんだから」と、厳しい言葉が飛んだ。
早速手を伸ばそうとしていた最悶はギクリと固まった。やはり千夏にはかなわない。
「もうちょっと作るものあるから、風呂にでも入ってさっぱりしてきなよ。ちぃ、先に沸かしてもう入っちゃったから」
「わかったよ」そういいながら自分の部屋に入った。千夏のいうように、部屋は片付けられて広々とスペースが空けられており、テーブルの上にはきちんとクロスが敷かれ食器が置かれていた。まさしく、パーティーの準備が整いつつあった。ささやかだが、最悶にとってはかけがえのないパーティーが。

風呂から上がった最悶は、彼の部屋で皿をセッティングしながら、「大体準備できたよ〜!」という千夏に、「飲み物は何かあるの?」と尋ねた。
「シャンパンを一本買っておいたんだけど」と千夏。
「それだけじゃあ、足りないな。今日は飲みたいからちょっとコンビニでも行って買ってくるわ」
「じゃあ、あたしも一緒に飲んじゃおうかな〜。明日は朝遅めだし」千夏は彼女らしい笑顔を見せて答えた。
「そういや、お前も20歳になったんだっけな。よ〜し、今日は飲み比べだ」そう最悶は微笑んで、部屋を後にした。

「乾杯〜!」
二人の声が部屋に響いた。グラスが触れ合ってチン、という独特の音を立てた。
シャンパンを一口飲むと、炭酸が喉に刺激を与えてくれ、食欲が湧いてくるような気がする。
テーブルには、彼女が料理の腕を存分に振るった料理が所狭しと並んでいた。
フライドチキン、ローストビーフ、エビフライ、ミネストローネ、ポテトサラダ、そして色とりどりのおにぎり。目を奪うほどの豪華さである。
まず最初に、ローストビーフを一口食べた最悶は、しばらく口を動かして咀嚼していた。千夏は、それを神妙な面持ちで見つめていた。さすがに出来が気になるらしい。テーブルに肘を付き、身を乗り出して、「どう、おいしい?」と尋ねてくる。
「・・・。うん!おいしいじゃん!」たっぷり間をためて最悶がそう答えると、千夏は「よかった〜!もう、どきどきさせないでよ〜」といってようやく和やかな表情になった。実際、かなりの空腹だったのも手伝って、お世辞ではなく、美味だった。
「これもなかなかいけるな〜!おっ、これもうまいなあ!」
お預けを解かれた犬のように料理に次々と手をつけていく彼を、千夏は満面の笑顔で見守っていた。


「今回でモンチ、何歳になったの?」
「23歳だな」最悶は、グラスを傾けながら答えた。シャンパンが空いたので、ビールに移っていた。
「そっか〜、ちぃがこの5月に20歳になったんだけど、またこれで3つ差がついちゃったね」
「まだ20歳か〜、若いな〜。俺はもうおっさんだよ」そう言って最悶は苦笑した。
「ははは、モンチ年齢不詳だから大丈夫でしょ」千夏はそうおかしそうに笑った。
「なに〜?」彼は聞きとがめ、空になっていた彼女のグラスに、ビールをなみなみと注いでやった。
「あ〜、やったな〜!」
「はは、文句はそれを飲んでからいいな」
「え〜、ちぃこんなに飲めないよ〜。それにビールはあんま得意じゃないんだから」
「まあまあ、ぐっと。せっかく酒が飲める歳になったんだから」
千夏は言われるがままに、上を向いてくっと大きく飲んだ。最悶は、にやにやしながら彼女の喉を見つめていた。
「うげっ、やっぱビールまじ〜!」とすぐに言って苦い顔をした。すでに彼女の顔はアルコールでほんのり赤かった。
「この苦いのが、やっぱり駄目!」などとしゃべっていた千夏は突然、「あ、そうだ!忘れてた!」というと、立ち上がり部屋の外に出て行った。何を思い出したのだろう。
しばらく待っていると、白い箱とラッピングされた小さな包みを持って帰ってきた。
「やっぱケーキがないとバースデイとはいえないよね。あと、これプレゼントね」
「マジで?まったく至れり尽くせりで、ちょっと申し訳ないな」
「いいの、いいの!今日ぐらいは、ドーンと構えてなきゃ。じゃあ、ケーキ切るからね。手作りだから味の保証は出来ないよ」
千夏に承諾を取り、包みをあけた。中には、腕時計が入っていた。決して高価なものではないが、23歳になった最悶には年相応のしっかりとした時計だった。彼女は、横目で見ながら、「モンチ、さすがにいつまでもあの時計使ってちゃ駄目でしょ」そう言って笑った。
「これのことか」彼はポケットから愛用の時計を取り出して苦笑した。彼は、腕時計のベルトのなくなった時計部分だけをいつまでも使っているのだった。
「もらっていいのか?」
「うん、付けてみなよ」
最悶はゆっくりと手にとり、付けてみた。金属のひんやりとした感触の後に、手首にしっかりとフィットする感覚があった。
「お〜、かっこいいじゃん!ぴったりだし。セレクトしたかいがあったよ〜」千夏も喜ばしげである。
「ありがとう。大事に使うよ」最悶も気に入った。やはりプレゼントはうれしいものである。それが千夏ならなおさらだ。
「さあ、ケーキも切れたよ。食べてみて」
「きれいに出来てるじゃん。じゃあ頂いてみます」
最悶には、不思議とケーキがおいしいという確信があった。なぜなら、千夏が心を込めてつくってくれたものだ、と思ったからだ。そうして、その通りだった。


最悶はトイレに立った。歩くと足が微妙にふらつき、酔っていることを自覚させられる。用を足し、部屋に戻った。
「あっ、モンチ〜!どこ行ってたの〜?」明らかに酔っている。声が間延びしているし、ろれつも回っていない。
「トイレだよ。さっき言っただろ」聞こえているのか、どうなのか。返事はなかった。
「おい、もうその辺りにしとかないと明日に残るぞ」
「え〜、いいじゃんもう少しだけ〜」彼女は酎ハイを飲んでいるようだった。
「よくないって。ほら、もう結構酔ってるじゃん」
「酔ってないよ〜。まだまだ全然大丈夫」そういってまたグラスを傾ける。
最悶は、さらにお酒を注ごうする彼女の手を押しとどめていった。
「駄目だって、これ以上飲むと」
「じゃあ、残りはモンチが全部飲んで!」
千夏は一瞬しょげたような様子を見せたが、最悶のグラスに全部注いで缶を空にしてしまうと彼女はにぱっと笑った。目は爛々としていた。
「ちぃ。お前、かなりきてるだろ?」
「んん〜〜??」千夏は小首をかしげながら、最悶の目を見つめた。だが、どこか焦点が合わない様子である。
「酔いすぎだって言ってんの!」
「酔ってないよ〜、ほら触ってみ?」
千夏は、最悶の手を取り、彼の掌を自分の頬に導いた。手も暖かかったが、彼女の頬は酔いで熱を持ってかなり暖かかった。
最悶は、思わぬ展開に顔を赤くした。早鐘のように、鼓動が急激に高鳴った。
「モンチの方が、酔ってるんじゃない?かなり顔赤いよ〜」
酔っている千夏は何の気なしにそういってけらけらと笑った。
「俺はそんなことないんだけど。とにかくあんま飲んじゃだめだぞ!」
「わかったよ〜。でもモンチ酔ってないんならもっと飲まないとね〜。とりあえず、それ空けちゃって〜!」
千夏は、意気消沈したのも束の間、再び楽しそうな顔になった。瞳には輝きが戻ってきていた。
最悶が、ため息をついていると、「早く〜!さっき、ちぃがビール飲ませられたんだからモンチはもちイッキね!」そういって急かす。
「わかった、わかった。飲むから。その代わり、お前はもう飲まないようにな」
そう念を押して、一気にグラスを飲み干した。さすがに酎ハイとはいえ、一気飲みはきつい。
「おお〜!!すごいすごい!!じゃあ次はこれね!」千夏は手を叩いて喜び、すぐ次の缶を開け注いでくれる。
千夏にこれ以上飲ませるのは気が引ける。やはり、自分が飲まなければ駄目なようだ。
そんなことを考えながら、最悶は次の酒に口をつけた。急激にめまいがし、周りのものが定まらない、そんな感覚を感じながら。


気がつくと、傍らにいる千夏はテーブルに突っ伏して寝込んでいた。眠りは深いようで、肩を少しずつ上下させて、安らかな寝息を立てていた。最悶自身もしばし眠ってしまっていたようだ。彼女にもらった時計に目をやると、すでに結構な時間が経過していた。
彼女を起こすのがためらわれた最悶は、音を立てないように布団を敷いてやった。もう季節が季節である。明け方などは、特に冷える。彼は、毛布をそっと彼女の肩に掛けてやった。千夏の寝顔は、やはり20歳とはいえ少女の面影が多分にあり、無邪気でかわいらしかった。
最悶は、急に彼女がいとおしくなり、栗色の髪を二、三度優しく撫でた。メディアに出る時は、様々なヘアースタイルで楽しませてくれる千夏も、当然ながら家では普通のロングヘアーである。つやつやとして柔らかかった。

「ちぃ、ありがとう」

彼女を顔を見つめていると、自然とその言葉が出た。
最悶は微笑んで、静かに廊下に出て行った。



 最悶は、千夏の部屋に入り、窓を開け放った。先程までのパーティーの騒がしさとは対照的に、辺りはひっそりとしていた。自分で思う以上に酔っているのだろう、顔がかなり火照っているように感じた。そこに当たる涼しい夜風が心地よかった。
それにしてもよく飲んだものだ。最悶自身、そこそこ飲める人なのだが、久しぶりでなおかつ風呂上りのお酒だったため、あぶないところまで追い詰められた。千夏の方が何とか先に潰れてくれはしたものの、彼女はまだ酒を覚えたてだし、これからどうなるかと思うと末恐ろしかった。
「酒でも負かされる日がいつかくるかな」そう呟いて苦笑しながら、回らない頭でぼんやりと街灯を見ていた。

しばらくそうした後、最悶は窓を閉め、電気を消した。酔いのおかげで朝までぐっすり眠れそうである。彼はベッドに横たわった。寝なれていないためか、少し妙な感じがした。千夏の匂いがほのかにするのがわかった。暗さに徐々に慣れてきた目を閉じて、彼は考えた。

振り返れば、この一週間余りの日々は激動だった。今考えるとあっという間だったが、本当にいろいろなものを与えてくれた経験になった。今では千夏の入院という出来事は、結果として二人の絆を強くしてくれたようだな、と。
ささいな日常にこそ幸せがある、ということがわかった。
千夏のことを信じてやれなくて、自らを恥じたこともあった。
彼女が自分のことを大事に思ってくれている。そのことが純粋にうれしかったし、素直に感謝しようと思った。

千夏がいてくれる。それだけでよかった。
これから先、どれほどの時間がある。彼女をできる限り大切にしてやろう。
そして、彼女に幸せが訪れますように。笑顔が絶えませんように。

心地よい疲労感が最悶を包みこもうとし、彼はそれがいざなう眠気に身をゆだねた。
夢の中でも、千夏に会えることを願いながら。――――――


 

 

May my love for Chinatsu last forever!/Fin.

 

 

 

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